おだやかに、スマートに。
― HSPの生き方模索 ―
こころ・カラダ

「したい」というより「せざるを得ない」おだやかな暮らし【HSP×生き方】

HSPエッセイストのこはくです。

こはく
こはく
肩書きは(仮)です。
もはやブログ全体が(仮)です。

乱れたときは、まず動画

最近、乱れている。
心も、生活も、身だしなみも。 

どこから直していけばいいんやと頭を抱えそうになった時、最近は動画を見ることが多い。

以前は、この悲惨な現状を打破してくれそうな本を読んだり(読むまでいかなくても、Amazonで検索したり)、ブログを読んだりしていた。

けれど、文字情報だけだと、「良くなろうとしている自分」に満足して、そこで終わってしまうことが多かった。結果、行動まで移せない。
そもそも、文字を読み進める気にさえなれないときもある。

一方動画は、ぼーっと眺めてるだけでもイメージが伝わってくるし、文字だけの情報よりも、発信者という人間の存在を身近に感じることができる
「わたしもこうなりたい」という漠然とした思いだったのが、「わたしも生活を整えて、この人みたいにおだやかな気持ちで暮らしたい」と少し具体的になる。

理想と現実の、辛すぎるギャップ

「生活 整える」で検索して出てきた動画。
どれも心をくすぐる。

こうしたおだやかな暮らしをしている人は、みんなHSPなんじゃないか、という過度な一般化と共に、勝手に仲間意識を感じてうれしくなる。(思うのは自由)

動画を見終え、部屋を見渡す。

机の上には読みかけの情報誌。
椅子に掛けっぱなしのパーカー。
統一感のないハンガーに干された洗濯物。たたまなきゃ。

なんとなく使えそうで捨てれない段ボール箱。
床に落ちた髪の毛。

姿見に映る、よれよれの部屋着と、雨の湿気で縮れた髪。
そしてこの覇気のない顔。

キッチンにはカップ麺のストック。
使用感あふれる100均のまな板。
研ぎ方が分からず、研がずに何年も使っているセラミック包丁。

ため息しか出ない。

この調子で、寝室や洗面所を見るのは、とてもじゃないができないと思い、中断した。

「心地良い暮らし」には前から関心があったし、少しずつ片づけたり、お気に入りのものを飾ったりしてきたつもりだ。

けれど、気分が落ちていると、そんななけなしの努力はすっかり忘れ、ヤなとこばっかりに目が行く。

さっき見た動画とのあまりにも大きいギャップに、ひるみそうになる。

一気にあんな風に大変身できるとは思っていない。
けれど、ちょこちょこ進めても、少し気を抜いただけで元に戻るし、モチベーションを高く持ち続けるのは結構むずかしい。

理想というより、せざるを得ない “おだやかな暮らし”

けどね、最近、「心地良く過ごすことに、本気にならねば」と思う。

3年前に立ち上げたこのブログ。
HSPという概念と出会い、衝撃を受けたわたしは、理想の生き方「おだやかに、スマートに」をタイトルに掲げ、そのためのノウハウを書き留めようと思った。
でも、全然続かなかった。

テーマ自体は今も大きくは変わってないけど、その「おだやかに、スマートに」という目標の捉え方が今では少し違う。

「そうしたい」というよりも、「そうするしか(幸せに過ごせ)ない」のだ。

急かされながら、複雑な社会を生きていくことが極端に苦手なわたしは、おだやかに、スマートに生きていくしかないのだ。

漠然とした不安とごちゃごちゃした思考に追われて、散らかった部屋で、ジャンクフードを食べて生きてる。そりゃあしんどいよ。

平日の夜は家で作ることも多いけど、健康とか彩りよりも、節約で頭がいっぱいで、できあがるのは「おいしそうな料理」ではなく、「コスパのいい料理」。

けどさ、それもよくよく考えると、週末は作るのが面倒で外食中心になってるけど、自炊のための食材なんて、多少値が張ろうが、外食よりは安い。(最近はマクドもファミレスも決して安くない)

おだやかに過ごすことが人生の目標なら、そこにお金かけてもいいよね?
これといった趣味もないし。(これも悩み)

最近、お祝いでいただいた高級な研ぎ石。
「うちセラミックの包丁やしな…」と戸棚の奥にしまってたけど、これを機に、ちょっといい包丁買ってみようかな。

もう一度キッチンに目をやる。
気分は少し、前向きになった。

― おわり ―

こはく
こはく
ギフトカタログで注文した“ちょっといい包丁”
形から入(って形だけで満足してすぐ飽き)るタイプです。