おだやかに、スマートに。
― HSPの生き方模索 ―
こころ・カラダ

生きづらい世の中で、生きやすさを模索する。-『適応障害』という病-

人混み

「社会って、生きづらい」みんなそうなの?

「生きづらい」――これまで、いろんな場面で、何度も何度も湧き起こってきた感情。不安とか、緊張とか、不快感とか、誰だって抱く感情だけど、どうやら人一倍敏感なのかも?大学を卒業して、社会で働き始めたころから、そういった考えを持つようになりました。

会社という組織に染まっていく自分

企業に所属するということは、多かれ少なかれ、その会社の”色”に染まっていくという変化がある。

企業理念とか社風とか、建て前的なものに始まり、始業時間は9時なのに、8時半に着くと「社長出勤か」と言われ、お昼休みは大声を出すための特訓に呼ばれ、終業時刻は単なる残業開始の合図である。

仕事を終えると、曜日に関わらず飲みの誘いがあって、休みの日にはハイキングのお誘い。本当は1ミリも行きたくないのに、当たり障りのない断り方が分からなくて、結局参加してしまったりする。

有休申請はなんとか通ったけど、上司に申請書を渡したときの「ふーん、休むんや…」という責めるような表情が頭にこびり付いて、休みの日も休んでいる心地がしなかった。

「仕事がつらい」その”普通”が受け入れられなかった。

会社勤めのしんどさなんて、誰にとっても普通のこと。世間でいう”ブラック企業”に比べたら、全然マシなほうだと思う。会社の空気に馴染んでいくほうがきっと楽になるんだろうけど、会社色に染まり、「イヤ」という感覚が麻痺していくことが、私は恐ろしく思えて仕方なかった。

理不尽な上司とか、サービス残業とか、時間外の付き合いとか、同年代の友人と話すと、みんな同じような悩みや鬱憤を抱えていた。けれど、「そういうの、なんかもう慣れてきちゃった」と笑う友人をみて、私は怖くなった。

私は、きっと慣れることができないだろうし、そもそも慣れたいと思わない。慣れたくない。――より一層その思いが強くなりました。

「適応障害」病気という枠組みで得られた安心感

その頃から、「世の中、なんて生きづらいんだ」とちらほら思うようになった。つらいと言いながらも、ちゃんと自分らしく働けている人がいるのに、どうして私はこんなんなんだ。そんなとき、ネットで「適応障害」という言葉があることを知りました。

【適応障害】
ある特定の状況や出来事が、その人にとってとてもつらく耐えがたく感じられ、そのために気分や行動面に症状が現れるものです。たとえば憂うつな気分や不安感が強くなるため、涙もろくなったり、過剰に心配したり、神経が過敏になったりします。

ストレスとなる状況や出来事がはっきりしているので、その原因から離れると、症状は次第に改善します。でもストレス因から離れられない、取り除けない状況では、症状が慢性化することもあります。

出典元:厚生労働省HP
https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_adjustment.html

自分のこの感覚が異常なんじゃないか、ただの怠け者じゃないかと、自己嫌悪に陥っていた私は、なぜだかほっとした気持ちになりました。「病気」という枠組みに入ることができたら、この感覚を自分自身で受け入れることができる。そんな気持ちでした。

病院での診断や、その後について、また別の記事でお話しします。