なんでも それなりに できてしまう ”器用貧乏さん”
「器用貧乏」という言葉。
ポジティブな言葉とネガティブな言葉が2文字ずつ並んでいるのに、どうしてもネガティブなほうに目が向いてしまう。
周りの人は「なんでも“こなせる”」とプラスに評価してくれることも多い。けれど、当の本人は「なんでも“こなせてしまう”」ということが悩みになっていたりする。
その分野に全く触れたことがない人からすれば、「すごい!できる人だ!」と思ってもらえる。けれど、それを専門としている人と、その分野について語り合うことなど到底できない。したくない。絶対にボロが出る。
本当に好きなこと? それとも得意なだけ?
何をしても、人並み+αくらいはできてしまうため、今取り組んでいることが、好きでやっているのか、仕方なくやっているのか、自分でも分からなくなってしまう。
そして、少しでも高い壁が見えると、たちうちできず挫折してしまう。乗り越えるために試行錯誤するよりも、次の興味へ移った方が、簡単に達成感を得られるからだ。
まるで自慢話。それがまた、悩み。
そして、器用貧乏であるという悩みは、どうも人に相談しにくい。「私は器用である」という前提を掲げることが、おこがましく思えてしょうがない。今、こうして器用貧乏についての文章を書いているが、人によってはただの自慢話にしか聞こえないかもしれない。
逆に、ミュージシャンやお笑い芸人が、インタビュー等で「自分はこれしかできないんで」というのを見たことがある。本人はきっと謙遜のつもりで言っているのだろうが、私にはその表情がとても清々しく、自信に満ち溢れているように見える。
人生の物語化も“人並みに”できる
学生時代、就職・転職活動時、そして今もなお、自分の飽きっぽさに自信をなくすことも多い。
けれど、こうしてフリーランスになった今、自分が“人並みにこなせてしまった”いろいろなことが、思いがけないところで活かせるような気がしている。
転職活動時に勉強した簿記の知識が、独立後の会計処理に活かせるかも?
仕事上、受験することになったウェブデザイン検定の内容が、ブログを作る上で少し役に立っている!
そして今、新たにロゴデザインに興味を持ち始めている。Illustrator等、全く触ったこともないが、情報を必要最小限まで削ぎ落としたシンプルなデザインや、与える印象を大きく左右するフォントなど、見ていると心がうずうずしてくる。
これまで、大学では統計学、前職ではコピーライティングをやってきた。
「情報の要点をまとめて、端的に表す」
―― もしかしたらこれが、自分の好きなことなのかも?
またすぐに飽きてしまうかもしれないし、今度こそ大当たりかもしれない。
幸い、人生の出来事を物語化するのも、人並みにできるよう。自分なりにその都度その都度、納得して進んでいこうと思う。
【おまけ】ちょっと励まされた言葉
一度、仙人のような友人に、器用貧乏について相談したことがある。
「いろいろ少しずつできてしまうため、一つのことを極められない」
「だったら、その“いろいろ”の数の多さを極めてみては?」
ほんの数分の会話であったが、5年経った今も鮮明に覚えている。